ペレ

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20世紀最高あるいはサッカー史上最高と評される選手
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プロフィール

本名 エドソン・アランテス・ド・ナシメント
愛称 ペレ
国籍 ブラジル
誕生日 1940年10月23日
出身地 トレス・コラソンエス
ポジション FW

所属クラブ

1954年-1956年 バングー
1956年-1974年 サントス
1974年-1977年 ニューヨークコスモス(アメリカ)

獲得タイトル

代表
1958・62・70年 - FIFAワールドカップ優勝
個人
1973年-南米年間最優秀選手

こんな人です

 170センチ前半と小柄であるが身体能力が抜群で、バランス感覚に優れ自身より大柄な相手ディフェンダーの激しいタックルにも当たり負けしなかった。左右の足を完璧に、強弱の差なく使いこなした唯一のプレーヤーであるともいわれる。また、小柄ながら並外れた跳躍力で打点の高いヘディングも得意としており、さらに100メートルを10秒台で走る俊足を持ち合わせているなど、サッカー選手に必要な全ての才能を持ち合わせていた。 その一方で、自らのゴールを減らしてでも周りの選手の能力を最大限に引き出す献身的なプレイヤーでもあった。

 代表デビューは1957年7月7日、当時まだ16歳。ワールドカップには、1958年のスウェーデン大会に17歳で初出場。準決勝でフランスを相手にハットトリックを達成。その後計4大会に出場し、3度の優勝に大きく貢献。 その上手さは、ペレがゴールしたとき、スウェーデンのディフェンス陣が、余りにも見事に抜かれたためペレの元へ祝福に駆け寄った、という逸話がある。1954年に14歳でデビューしてから1977年に引退するまで、実働23年。生涯通算成績、1363試合出場、1281ゴール。 公式記録として残っているものの中では、世界最高の記録である。 1試合5得点が6回、4得点が30回、ハットトリックはなんと92回。1試合最多得点は8点。

 さまざまな逸話があり、現役時代には、ペレのプレーを見るためにナイジェリアとビアフラの内戦が中断した、ペレの暴言にレッドカードを出した主審が逆に退場を命じられる、ユベントスにいたっては、ペレに対し「好きな金額を書いてください」と言わんばかりに白紙の小切手を送ってきた、など数々の逸話がある。

 1995年から3年間はブラジルのスポーツ長官を務め、他にも多くのスポーツ団体への寄付など、スポーツ普及のため尽力。

 1999年にブラジルで自動車強盗に遭遇したが、強盗に向かって「ペレだが」と告げたところ強盗は「すみません」と謝って何も盗らず逃走したという。

 「ペレ」の愛称の由来はペレの父親の所属していたサッカーチームのGKのベレの大ファンであったが、そのころのペレは幼かったのでBの発音が出来なくてPと言っていたのでPel?が愛称になった。

 ブラジルの国民的英雄のひとりではあるが、ブラジル中に隠し子がいるというスキャンダルもあり、ブラジル人からはペレよりジーコの方がより英雄視されているという。