ミシェル・プラティニ

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優雅なテクニックに素晴らしい得点感覚「将軍」
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プロフィール

本名 ミシェル・プラティニ
愛称 将軍
国籍 フランス
誕生日 1955年6月22日
出身地 ジェフ
ポジション MF

所属クラブ

1966年-1972年 ASジェフ(フランス)
1973年-1979年 ASナンシー(フランス)
1979年-1982年 ASサンテティエンヌ(フランス)
1982年-1987年 ユヴェントス(イタリア)

獲得タイトル

代表
1984年 UEFAヨーロッパ選手権フランス大会: 優勝
1986年 ワールドカップ・メキシコ大会: 3位

個人
1983年 セリエA 得点王(16 ゴール)
1984年 セリエA 得点王(20 ゴール)
1985年 セリエA 得点王(18 ゴール)
1983年1984年1985年 バロンドール受賞

クラブ
1983年1985年 UEFAチャンピオンズカップ 優勝(ユヴェントス)
1984年1986年 セリエA 優勝(ユヴェントス)
1985年 トヨタカップ 優勝(ユヴェントス)

こんな人です

 ゲームメーカーとして有すべき視野の広さ、優雅なテクニックに芸術的なフリーキック、また、素晴らしい得点感覚、どれをとっても「将軍」という愛称にふさわしいものだった。数々の素晴らしい記録を持っているが、それ以上に人々の記憶に残る数々のプレーを見せてくれた。

 1976年 3月27日にチェコスロバキア戦で代表デビュー。1976年 モントリオールオリンピックに出場。準々決勝で東ドイツに敗れる。1981年、ASサンテティエンヌに移籍してリーグ優勝。1982年にユヴェントスに移籍147試合で68ゴールを記録して、チームのヨーロッパ・カップなどの優勝に貢献。

 1984年、フランス代表チームのキャプテンとしてヨーロッパ選手権に出場し、9ゴールで得点王を獲得。1984年−1985年のUEFAチャンピオンズカップに優勝。1985年、トヨタカップ出場のため来日。1987年に引退。

 1989年から1992年までフランスの代表監督を務める。1998年 地元開催のW杯フランス大会組織委員長を務める。2007年 ドイツ・デュッセルドルフにて開催されたUEFA総会の会長選挙で、レナート・ヨハンソンを破って当選、UEFA会長に就任。代表キャップ数71試合、41ゴール、キャプテン試合数49

 1985年のトヨタカップで、胸トラップからキックフェイント反転してDFのマークを外し,素晴らしいボレーシュートを撃つが、オフサイドと判定され、幻のゴールとなった。オフサイドと判定された後に芝生の上で寝そべる姿は印象的だった。近年のインタビューでも生涯で最も美しいゴールであったと述べている。

 自身が出場した、1984年−1985年のUEFAチャンピオンズカップの決勝戦で、ヘイゼルの悲劇(サッカーのサポーターによる乱闘事件)が起こり、そのショックで、その次のシーズンを最後に現役を引退した。

 パスタが好物で、太りやすい体質であった。引退後フランス代表の監督時代には、現役時代に比べかなり太っていた。またユニフォームの裾を出してプレイするのがトレードマークであったが、その理由は「お尻の大きさを隠せるから」というものである。

「サッカーに人種はない。下手な白人ほど黒人を差別する。」
「サッカーはミスのスポーツです。全ての選手が完璧なプレイをしたらスコアは永遠に0対0です。」
「私がサッカーボールを使って出来ることを彼ならオレンジでやってしまう。」(ディエゴ・マラドーナを評して)
「10番というより9.5番だ。」(ロベルト・バッジョを評して)