|
「Zico」はの意味で、より原音に近い表記をすればズィッコとなる。
ブラジルリーグの名門、フラメンゴのミッドフィルダーとして活躍し、ホームスタジアムから「マラカナンの英雄」といわれた。また、同じくブラジルサッカー界の英雄であるペレになぞらえ、とも呼ばれていた。
FIFAワールドカップでは1978年、1982年、1986年の3大会に出場。1982年のスペイン大会ではソクラテス、ファルカン(元日本代表監督)、トニーニョ・セレーゾ(元鹿島監督)とともにを形成。今も「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」と称えられるがイタリアのカウンターサッカーの前に敗れ去り、2次リーグ敗退(現在の規定でベスト8相当)。自身はスルーパスとフリーキックを武器に世界中のファンを魅了した。
1991年に住友金属サッカー部(現・鹿島アントラーズ)に入団。旧2部リーグの弱小チームを日本を代表するサッカークラブに成長させ、日本のサッカー界を積極的に盛り上げ、鹿島町(現・鹿嶋市)からも表彰される。
ブラジルスタイルの抜群のテクニックを持ち、ドリブル、パス、シュートの三拍子を持ち合わせた1980年代の10番の典型。右足から繰り出される長短のパスの正確さは世界最高で、前線に張る選手、背後から飛び出す選手を問わず、絶妙のタイミングで正確無比なパスを飛ばす。
監督としてのジーコは、細かい約束事は与えず、大まかな指針を決めた後は攻撃も守備も積極的に選手間で協議をさせ、現場の状態を組織全体の方向性に反映させるというやり方をとった。
日本が第二の故郷とコメントするほどの親日であり、来日した時は飛行場で必ず「タダイマ」と挨拶をする。大きな影響力を持つジーコが母国で日本をリスペクトするようになり、近年ブラジルで日本の印象は変わったと言われている。
ジーコのインタビューでよく出てくる言葉として、「(エウ) アシュケー」という言葉がある。ポルトガル語で「(Eu) acho que 〜」は、英語で「(I)
think that〜」、日本語では、直訳すると「(私が)考えるに〜」だが、「そうですね」ぐらいの使われ方である。
|